選挙で変わるのは社会では無く自分である
- yuki kato
- 7月19日
- 読了時間: 2分

今回の選挙、なぜか空気がいつもと違う。
SNSも、ニュースも、街頭演説も、どこか熱を帯びている。
「今度こそ、何かが変わるんじゃないか」
「時代の分岐点かもしれない」
そんな希望が、じんわりと広がっているのを感じる。
でも──
冷静に考えてみてほしい。
その期待は、本当に根拠があるだろうか?
それとも「変わってほしい」という願望が先に立っていないだろうか?
多くの人が選挙後に味わうのは、期待の反動としての落胆だ。
「結局、変わらなかったじゃん」
「何も良くならない」
「誰を選んでも同じだった」
こうしてまた、希望は裏切られたことにされ、
政治への信頼はさらに薄れていく。
だがその構図、本当に裏切られたのか?
違う。過剰に期待して、自ら勝手に失望しているだけだ。
選挙に対する幻想が強すぎる。
誰かが当選した瞬間に、空気が変わり、社会が変わり、
自分の暮らしが一気に好転する──
そんな都合のいい展開は、物語の中にしか存在しない。
現実の社会は、そんなに軽やかでもスムーズでもない。
どんな改革も、どんな意思決定も、時間がかかるし、
反対もあるし、複雑で、意外と地味だ。
じゃあ、なぜ選挙に行くのか?
意味があるのか?
ある。
ただし、それは社会を一発で変えるためじゃない。
自分の中の意識を更新するためだ。
選挙に行くという行為は、
自分が何を信じ、どんな社会を望み、
どこに責任を持とうとしているのかを考える時間をつくる。
誰に入れるかの前に、
「自分は何を望んでいるのか」
そこに向き合うことに意味がある。
投票用紙に名前を書いた瞬間、変わるのは社会じゃない。
変わるのは、自分自身の「選び取る力」だ。
それは、ニュースに流されず、
SNSの炎上に飲まれず、
自分の軸で判断しようとする力。
この時代に最も必要なのは、きっとそれだ。
だから、選挙のたびに「誰かが変えてくれる」と期待するのはもうやめよう。
それは他人任せであり、依存であり、無責任だ。
選挙は、変わりたいと願う自分に対しての踏み絵だ。
「お前は本当に、変わる覚悟があるのか?」と、静かに問われている。
期待してもいい。希望を持ってもいい。
でも、期待の置きどころを間違えないこと。
変わるのはいつだって、他人じゃない。
今ここにいる自分自身だ。








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