選挙に行っても社会は変わらない。だから、行く理由を考えてみた。 変わるのは、社会じゃなくて自分の中かもしれない。
- yuki kato
- 5月15日
- 読了時間: 4分
1. 選挙に行っても社会は変わらない。なぜなら…
選挙に行っても社会は変わらない。これはたぶん、かなりの確率で事実だ。
なぜなら、候補者の名前すらまともに知らずに投票している人もいれば、家族に言われた通りに入れている人もいる。政党名だけでなんとなくの雰囲気で選んでいる人も多い。
選挙って、本来は意思の戦いであるべきなのに、現実は名前が知られてる人が勝つ知名度バトルになっていたりする。
だから、行っても意味ないと感じるのも無理はない。
でも、それでも行くという人がいるのは、なぜだろう?
少しだけ考えてみる価値がある。
2. それでも行く理由を考えてみる
たとえば、誰も投票に行かなくなった世界を想像してみる。
すると、社会の意思決定は、ごく一部の人たちによってなされる。
それがいいか悪いかは別として、無関心でいることが支配の温床になるのは確かだ。
選挙に行くことって、もしかすると
自分はその無関心の連鎖に巻き込まれていないという
小さな意思表示なのかもしれない。
しかもこれ、誰に褒められるでもない。
けど、それが逆にすごく自分のためだけの行動にもなる。
また、行くことで得られるのは票の影響力ではなく、
自分が選んだという経験そのもの。
選ぶというプロセスは脳の前頭前野を刺激し、
決められる人間でいたいという感覚を呼び起こす。
これって、小さいけれど確実に自己効力感につながる。
どうせ変わらないけど、自分は動いたって記憶は、
後で何かを決めるときの支えになることがある。
3. 選挙という儀式が持つ、目に見えない効能
選挙って、超アナログ。
わざわざ会場まで出向いて、紙を受け取って、書いて、箱に入れる。
デジタル全盛の時代に、非効率の塊みたいな行動。
でもだからこそ、これってちょっとした儀式なんじゃないかって思う。
わざわざ出向くことで、日常に節目ができる。
身支度をして、出かけて、無言で列に並ぶあの時間。
たったそれだけで、今日はちょっとちゃんとした日になる。
候補を選ぶという行為は、自分の中の価値観や優先順位を見直すきっかけにもなる。
普段あまり使わないメタ認知のスイッチが入る。
投票用紙に名前を書くことで、自分はこう思ってるという意思が目に見える形になる。
そして、投票箱に入れることで、その行動に区切りがつく。
これは、地味だけど確かな達成感を生む。
選挙という行為は、社会のためではなく、
自分のOSを整える文化的ルーティンとして機能する。
4. 投票行為は責任感ごっこの入り口
選挙に行かない理由のひとつに
どうせ何も変わらないから
という言葉がある。
一見、冷静で現実的に聞こえるが、
よく考えると、失敗したくないとか関わりたくないという責任回避の心理も見え隠れする。
投票した結果が裏目に出ると、自分の判断ミスのように感じてしまう。
だから最初から選ばないを選ぶことで、後悔もしないし責任も取らなくて済む。
でも、責任って必ずしも重くて堅苦しいものじゃなくて、
自分もちょっとは関わってるっていう感覚のことかもしれない。
このちょっと、が意外と効く。
その感覚があるだけで、社会の出来事が
誰かのこと から 自分ごと に少しだけ近づく。
そしてその変化は、いわば責任感ごっこ。
完璧な大人ぶるわけじゃなくて、
ちゃんとした人っぽく振る舞ってみるという軽い参加。
投票行為って、そういう社会への軽い関わり方を
ちょうどよく練習できる場かもしれない。
5. 社会より先に、自分の中で未来が変わる
選挙で未来を変えようという言葉はよく聞く。
けれど、現実には、そう都合よく未来は変わらない。
誰が当選するかも分からないし、
思ったように物事が動くとも限らない。
でも、未来を変えるってのが、
社会全体を変えることではなくて、
自分が未来とどう向き合うかを変えることだとしたら?
選挙に行くという行動は、
ほんの一瞬でも、未来に向けて何かを託す自分を作る行為になる。
それがあるだけで、未来に対する距離感はほんの少しだけ変わる。
社会がどうなるかよりも、
未来に関わるという感覚を持てるかどうか。
それこそが、選挙の本当の効能なのかもしれない。
6. まとめ:選挙は、自分の中の選択する力を守るための儀式
選挙に行っても社会は変わらない。
その事実にがっかりする人もいる。
でも、それを理解したうえで、なお行くという選択をした人が得るものは、
社会の変化ではなく、自分自身の小さな変化かもしれない。
選ぶという経験は、行動力を育て、責任感の芽をつくり、
未来とつながる感覚を少しだけ強くする。
選挙とは、
自分の中にある「選べる力」を見失わないための静かな儀式。
社会を変えるんじゃない。
自分を見失わないように、毎回確認しに行くようなもの。
それだけのためでも、行く意味は、ちゃんとある。
Comments