「祟り」は脳が創ったエンタメか?──諏訪神社・朴の木と人間心理の交差点
- yuki kato
- 7月15日
- 読了時間: 3分

「朴の木に触れると祟られるらしいよ」
そう言われるだけで、妙にゾクッとする。
でも冷静に考えてみよう。
それって本当に木が何かしてるのか?
もしかして、“人間の脳”が勝手に物語を作ってるだけじゃないのか?
■ 諏訪神社の朴の木:祟り伝説の現場
山梨県甲州市、初鹿野諏訪神社の裏手に、一本の巨木がそびえる。
それが、祟り伝説で知られる「朴の木」だ。
– 1905年:葉を使った集落が壊滅
– 1953年:枝を切ろうとした作業員6人中5人が死亡
– 1968年:修学旅行のバスが衝突、6人が亡くなる
地元では「この木に関わるとよくないことが起きる」と語り継がれ、
JRも枝を切らず、行政も柵を設置し、誰も近づこうとしない。
■ それって本当に祟りなのか?
ここで冷静に、心理学・脳科学・数学の視点から検証してみる。
● 心理学的には
– 因果関係バイアス
→ 無関係な出来事同士を「きっと何か関係がある」と思い込むクセ。
– 確証バイアス
→ 祟りを信じていれば、事故の情報だけが印象に残る。
– ナラティブバイアス
→ 人は無意味な出来事に「意味のある物語」を与えたがる。
つまり、事故が起きたのではなく、**「事故が祟りに変換された」**のだ。
● 脳科学的には
– 扁桃体が「恐怖」に反応し、記憶を強化
– ミラーニューロンが他人の恐れを自分の恐れとして感じる
– 側坐核が「これは意味のある出来事だ」と判断し、ストーリー化を始める
結論:
人間の脳は、祟りを「外側の現象」としてではなく、“内側の演出”として体験している
● 数学的には
人口5000人の地域で、20年間に数件の死亡事故が起きるのは統計的には自然。
特別多くもなければ、不思議でもない。
フェルミ推定で見れば、「祟りと言われた事故」はただの偶然の範囲内。
■ そして人々が“知る”ほど強くなる祟り
興味深いのはここから。
誰かが「祟りかも」と言い出す
↓
それを聞いた人が「やっぱり…」と思う
↓
さらに別の誰かが「これも朴の木のせいじゃ?」と結びつける
↓
SNSやテレビで紹介される
↓
行政や企業まで気を使う
↓
「これは本当にヤバいやつだ」と社会的に定着する
このループ。
すでに**“現象”ではなく、“構造”**になっている。
■ 実はエンタメの一種では?
ここでひとつの仮説を置いてみたい。
> 祟りとは、人間の脳が創り出したリアル体験型エンタメなのでは?
– ストーリーがある(木に触った→事故が起きた)
– 当事者になれる(行ってみる、触ってみる)
– 演出はすべて脳内(見えないけど、感じる)
– 一度知ったら、忘れられない(刷り込まれる)
まるで都市伝説。
いや、むしろホラーゲームや謎解きイベントの原型とすら言える。
■ 類似事例も世界中にある
– 【平将門の首塚】:東京ど真ん中で“動かせない”ご神域
– 【犬鳴村】:本当に存在しないはずの村が観光地化
– 【ツタンカーメンの呪い】:ただの感染症や事故が“呪い”に昇華された
どれも、事実以上に「信じられた物語」が一人歩きし、社会的な影響力を持ってしまった構造だ。
■ 最後に
祟りを信じるか、信じないか。
そんな2択ではなくて、
「なぜ祟りが信じられるのか?」を考えることが今の時代には必要だと思う。
偶然を、物語にしてしまう脳。
脅威を、エンタメにしてしまう社会。
意味を求めすぎる人間の宿命。
祟りの正体とは、
「無意味な世界を、意味で満たそうとする人類の脳の仕組み」なのかもしれない。








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