FIREという幻想に群がる人々
- yuki kato
- 9月23日
- 読了時間: 3分

近年、SNSを眺めていると「FIRE達成しました!」と胸を張るアカウントを山ほど見かける。
金融リテラシーの高さをアピールし、自由な時間を手に入れたと誇らしげに語るその姿は、まるで新興宗教の布教活動にも見える。
だが実態はどうだろうか?
彼らの多くは「空想世界に生きるFIREした自分」を演じているに過ぎない。
現実の生活は会社員かフリーランス、あるいはアルバイト。投資収益で暮らすどころか、月末の支払いに追われていることすらある。
要するに、FIREという言葉を借りて現実逃避をしているのである。
■定義を歪めれば誰でもFIRE
本来のFIREとは「資産運用益で生活費を賄える状態」だ。
しかしSNSの世界では定義が際限なくゆるくなる。
「月数万円の配当があるからFIRE」
「支出を減らしたからFIRE」
「会社を辞めたからFIRE」
…これでは単なる節約生活や無職と区別がつかない。
数字を提示しているように見えても、その根拠は怪しい。
しかも曖昧なまま「FIREした自分」を演じることで、自分の生活に箔をつけようとする。
これは投資術というより、現実の貧しさを覆い隠す演劇だ。
■承認欲求と空虚な自慢
FIREを名乗る人がSNSで盛んに発信する理由はシンプル。
「承認欲求」である。
羨ましがられたい。特別に見られたい。
だからこそ、FIREを宣言する。
本当に資産数億円を持ち、利回りだけで悠々と暮らす人は、SNSで騒ぐ必要などない。
静かに消えて、静かに暮らす。
声高に「FIREしました!」と叫ぶのは、まだ現実に縛られている証拠だ。
■FIRE界隈という共同幻想
SNS上のFIRE民たちは、互いに「おめでとう!」「すごいですね!」と持ち上げ合う。
その輪の中にいる限り、自分も特別な存在だと思い込める。
まるで仮想通貨バブルに浮かれた頃の投資サークルのように、同調圧力と自己暗示で成り立つ世界だ。
FIREはもはや金融の概念ではなく「共同幻想」である。
それを信じることでしか生きられない人たちが、今日もSNSで空想を語り合っている。
■現実はもっと地味で残酷だ
冷静に考えればわかることだ。
生活コストの高い都市に住み、年金や医療費の将来不安を抱えながら「FIRE」を達成できる人などごく少数。
多くは「サイドFIRE」や「バリスタFIRE」といった妥協型に逃げ込み、結局は労働から解放されない。
それでも「私はFIREした」と宣言することで、束の間の安堵を得ているのだろう。
だがそれは自由ではなく、むしろ幻想への依存だ。
■FIREは、ほぼ幻想
FIREとは、人間が自分を慰めるために生み出した物語である。
本当の自由を手にした者は語らない。
語り続ける者は、まだ自由を手にしていない。
SNSで輝いて見えるFIRE民たちの多くは、空想世界に逃げ込むことでしか心の平穏を保てない人たちだ。
彼らを見て「羨ましい」と思う必要はない。
むしろその姿こそ、人間の弱さと滑稽さを凝縮した現代の寓話なのだから。
AI未来鑑定士 / リクルートストーリーテラー
合同会社Lepnet 代表社員 加藤勇気








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