善意という名の搾取装置──交流会・NPO・社団法人の裏側
- yuki kato
- 5月20日
- 読了時間: 3分
はじめに
これは私が所属するコミュニティに対する批判ではありません
良く見る構図なので思う所を書いていますのでご了承ください
………………
「みんなで社会を変えよう」
「知恵とリソースを持ち寄って、学び合おう」
そんな言葉で彩られた経営者交流会、NPO法人、一般社団法人。
だけど私には、それが善意の押し売りの装置に見えるときがある。
誰かの理想や承認欲求を、他人の良心とリソースで叶える仕組み。
それってもう、搾取とどこが違うのか。
■善意という名のリソース収奪
経営者交流会では、こんな言葉が飛び交う。
「紹介してあげて」
「イベント手伝って」
「困ってる仲間は助けよう」
それらはすべて、善意というフィルターを通されて当然のように要求される。
でも、提供する側の時間も人脈も労力も有限だ。
しかも、リターンは「感謝」か「参加実績」。
要は、良心で引っ張られる無償労働が常態化する。
■「社会を変える」という免罪符
社会貢献、地域活性、未来の子どもたちのため。
誰も否定できないような立派な言葉を掲げているから、
その活動を疑問視すること自体がタブーになっている。
でも実際は、
代表や立案者が「すごい人」に見られるための舞台だったりする。
承認欲求をいいことで包んだ構造。
見抜きにくい分、厄介だ。
■善意でできた法人が、善意で人をすり減らす
これは経営者交流会に限らず、NPOや一般社団法人にも言える。
立派な理念、社会的意義。
その看板の裏で、スタッフやボランティアが疲弊していく構図が見え隠れする。
・意思決定は上層部
・稼働は末端
・見返りは「ありがとう」と「やりがい」だけ
そして、言い出しにくい空気が漂い続ける。
これはもう、やりがい搾取と本質的に同じだ。
■結局、誰が得をしてるのか?
イベントは成功、メディアには載る、SNSでは称賛。
承認欲求も顕示欲も満たされて、立案者は自己実現。
一方、現場を支える人たちは
「いつまで続けられるかな」
「自分の生活が苦しい」
と疲弊している。
まさに──
骨折り損のくたびれ儲け。
■ギバーズゲインという名の良心搾取スキーム
「あなたの活動はきっとあなたに返ってくる」
──そんな言葉を信じた人たちが支えるのは、
本当は誰かの見栄と自己顕示かもしれない。
与えた人が報われる仕組みになっていればいい。
でも現実には、得をするのは与えた人ではなく、与えさせた人であることも多い。
与える者は与えられる
のでは無く
与えさせた人が利益を得る
■偽装された権威の正体
そして彼らは言う。
「行政とも連携しています」
「著名人も賛同しています」
「メディアにも取り上げられました」
権威を後付けし、正当性を飾る。
だがそれは──
所詮、付け焼き刃。
ハリボテは、強風で簡単に飛ぶのである。
■美しい理念だけでは続かない
善意と良心で作る組織。
たしかに、見てくれは良い。
言ってることも立派だし、共感を呼ぶストーリーもあるだろう。
だが、
取り巻く人たちのモチベーションは、長くは続かない。
善意は燃料にはなるが、永続するエネルギーではない。
なぜなら──
ビジネスは、結局「実益」が最重要だから。
理想だけでは、人も、金も、動かない。
それが現実。
そして、現実を無視した理想は、いずれ破綻するのである。
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