理不尽な人生における量子的思考のススメ
- yuki kato
- 5 日前
- 読了時間: 3分

あまりにも理不尽だ。
そう言いたくなる出来事が起きた、としよう。
納得できない。
受け入れがたい。
感情が先に立つのは自然な反応だと思う。
ただ、ここで一度立ち止まって考えてみたい。
果たして本当にそれは理不尽なのだろうか?
改めて、生きるという事はどんなことなのだろうか?
この問いから、思考を整理してみたい。
■理不尽だと感じる瞬間の正体
人はどんな時に理不尽だと感じるのか?
多くの場合、それは期待と現実が食い違った瞬間だ。
こうなるはずだった。
こうあるべきだった。
自分の理解や正しさが、世界と一致しているという前提を無意識に置いている。
その前提が崩れた時、理不尽という感情が生まれる。
つまり理不尽とは、世界そのものの性質というより、自分の期待が裏切られた事実に近い。
この構造を理解しないまま感情だけで判断すると、怒りや絶望が増幅しやすくなる。
■〜であるべきであるは事実ではない
社会には多くの正しさがある。
常識、倫理、ルール、空気。
それらは安心を与えてくれるが、未来を保証するものではない。
〜であるべきである、は願望であり規範だ。
確定事項ではない。
自分の理解が正しいかどうか分からない。
この状態は不安に感じやすいが、実はとても健全だ。分かったつもりにならず、思考を止めない余白が残る。
人類は古来より、確定できない世界と向き合ってきた。
神託、占い、哲学、科学。
どれも、不確実性をどう扱うかの試行錯誤だった。
■観測するまで分からないという前提
世界は、起きるまで分からない。
この性質は昔から変わっていない。
量子論では、状態は観測されるまで重なり合って存在すると考えられている。
一つに確定するのは、観測された瞬間だ。
この構造は人生にもよく似ている。
怒るべきか、受け入れるべきか、抗うべきか。
最初から一つに決め打ちすると、現実とのズレが苦しさになる。
観測し、状況を見て、選び直す余地を残す。
それが折れにくさにつながる。
■量子的思考という生存戦略
量子的思考とは、曖昧さを許容する思考だ。
白か黒かで決めない。
正しいか間違いかで固定しない。
可能性が複数同時に存在することを前提にする。
これは逃げではない。
むしろ、理不尽な世界を生き抜くための構えだ。
感情は否定しない。
しかし感情に支配もされない。
冷静さと覚悟を同時に持つことが、実務的なリスクヘッジになる。
■AI社会になっても変わらないもの
AI社会はすでに始まっている。
これから先、技術は未知の発展を遂げるだろう。
仕事の形。
価値の基準。
人間の役割。
どれも確定した未来像は描けない。
ただ一つ確かなことがある。
どれだけ技術が進歩しても、世界が完全に確定することはない。
AIがどれほど賢くなっても、
可能性は重なり合い、
結果は観測されるまで確定しない。
量子的構造そのものは、未来永劫変わらない。
だからこそ今、この思考が必要なのではないだろうか?
不確実性を排除するのではなく、前提として引き受ける。
その上で、自分はどう生きるかを選ぶ。
■不確かなまま生きるという選択
理不尽な出来事はなくならない。
AI社会になっても、それは変わらない。
だが、向き合い方は選べる。
確定を急がず、観測し、選び続ける。
生きるとは、完全に理解できない世界を生き抜くことだ。
量子的に、不確かなまま。
それでも前に進む。
それが、生きるという事なのだと思う。
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