税金はなぜ高い?無駄な予算に見えても後に必要とされた事例5選
- yuki kato
- 8月19日
- 読了時間: 3分

■ 税金が高いのにムダが目立つという感覚
私たちは日常的に税金の重さを実感している。給料明細を見れば社会保険料や所得税がしっかり差し引かれ、買い物をすれば消費税10%が必ず加わる。その一方で、ニュースでは「また無駄な予算が組まれている」と報じられる。国民にとっては「高い税金=無駄に消えている」という印象が強くなりがちだ。
■ ムダに見える予算の代表例
まず目につくのは、使われていない公共施設だ。地方の空港、赤字続きのホールや博物館。建設当初は地域振興を掲げたが、利用者は少なく、維持費だけがかかり続けている。
次に特別会計や独立行政法人への補助金。一般会計は国会で審議されるが、特別会計は規模が大きいのに国民の目に触れにくい。天下り先の法人に流れる資金も多く、成果は曖昧なままだ。
さらに調査研究費。各省庁が外部に委託するが、似たような調査が繰り返され、報告書は誰にも読まれずに埋もれていく。結果として「予算を消化するための予算」になっている。
こうした予算は国民に成果が伝わらず、「払っても無駄に消えている」という感覚を増幅させる。
■ 本当にムダなのか?
ただし、「ムダかどうか」は絶対的なものではない。ものさしが変われば評価も変わる。短期的な経済効果で見れば赤字に見えるものでも、長期的な社会的価値で測れば投資となる。
実際、過去には痛烈な批判を浴びながらも、後に不可欠な存在となった事例が数多くある。
■ 当時はムダ扱い、今は価値を持つもの
東海道新幹線(1964年)
建設当時は「東海道に弾丸列車など必要ない」「赤字の大博打だ」と国会でも批判された。事業費は国家予算の1割に迫り「国家的浪費」と呼ばれた。それでも開業すると大成功を収め、日本経済を支える大動脈となった。
東京タワー(1958年)
「復興期にそんな無駄な塔を建てるな」「見栄だけの鉄塔だ」と揶揄された。だが放送電波を担うだけでなく、観光資源としても定着し、日本のランドマークとなった。
成田空港(1978年)
建設反対運動では「農地を奪ってまで巨額のムダ空港はいらない」と抗議が続き、開港後も「アクセスの悪い失敗空港」とメディアに酷評された。しかし今では日本の国際拠点空港として不可欠な存在だ。
光回線インフラ(1990年代〜2000年代)
普及当初は「家庭に100Mbpsなんて不要」「無駄な贅沢」と批判され、新聞社説でも「インフラ過剰投資ではないか」と指摘された。だが今やリモートワークや動画配信に不可欠で、社会を支える基盤となっている。
大阪万博(1970年)
開催前には「一過性の祭りに巨額の税金を使うな」「後にゴミ施設になる」と批判され、一部の知識人には「見せかけの近代化の象徴」とまで言われた。それでも開催後は都市開発の契機となり、太陽の塔など文化的価値を残した。
■ 未来の答え合わせ
こうして見ると、当時「無駄」と断じられたものが、今では社会を支える存在になっている例は少なくない。逆に、地方空港のように今も赤字のまま「無駄扱い」で終わっているものもある。
つまり、ムダ予算の評価はものさし次第。短期的な数字で測ればムダ、長期的な視点で測れば投資。未来から振り返って初めて答えが出るのだ。
■ 答えは数十年後…
税金は確かに高い。ムダに見える予算も多い。だが未来から見れば「必要な投資」だったと変わる可能性もある。逆もまた然りだ。
では今、私たちが「ムダ」と感じている予算は20年後、どう評価されているだろうか。
その答えを出すのは、未来の私たち自身なのかもしれない。








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