恩は、笑って着せろ。偽善は、自覚してやれ。
- yuki kato
- 8月7日
- 読了時間: 3分

■ 恩着せがましい人って、実はめちゃくちゃ得してるんじゃないか?
昔は「恩着せがましい=ダサい」「偽善=うさんくさい」みたいな空気があったけど、今はむしろ逆じゃないか?と思っている。
恩を着せるのが下手な人ほど、評価されず、ただ搾取されて終わる時代になった。
だから私はあえて言いたい。
恩は着せていい。
偽善はやっていい。
むしろその方が、健全で、誠実で、笑えて、得をする。
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■ 偽善でもいい。動いた人間だけが見える景色があると思う。
やらない善よりやる偽善
この言葉がここまで刺さるのは、行動そのものに価値があると、みんな本当は分かってるからだ。
清らかじゃなくていい。
人のためと思ってるけど、自分のためかもっていうモヤモヤごと、持ってていい。
むしろ、そこに自覚がある方がよっぽどリアルで、誠実だ。
そして何より、行動した人間だけが、景色を変えられる。
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■ 恩は可視化しないと意味がない
現代は可視化社会。
黙ってやる善意は、ほぼ確実に忘れられる。
察してくれは通用しない。
ありがとうと言われたいなら、それが伝わる形にしないといけない。
そういう意味で、恩を着せるってすごく理にかなってる。
しかも、笑いながら着せるのが一番スマートだ。
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■ 恩は笑って着せると好感度が上がる
たとえばこういう言い方をすればいい。
・これ、あとで倍返しでお願いね。命以外で
・これで俺に借り1ね。死ぬまでに返せればいいから
・今日の優しさ、10年分の恩に換算されます
・そろそろ前回の神対応の件、時効かなと思ってたけど、やっぱ請求するね
こういうやりとりは、
ウケるし、忘れられないし、関係性が深まる。
笑いながら着せる恩は、記憶に残る善意になる。
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■ 与えるだけの人が潰れていく時代
恩を着せるのはカッコ悪いとか、見返りを求めるのはいやしいとか
そんな考えで黙って与え続けてると、いつか枯れる。
誰にも気づかれず、何も返ってこず、自分の価値すら見失う。
だからこそ、俺やったよって言っていい。
しかも、それを笑いにすれば、誰もイヤな気持ちにならない。
これが令和時代の恩のマナーだと思う。
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■ 結局人間関係は 笑える貸し借り でできてる
関係性って、完全なフラットでは成立しない。
ちょっと貸してる ちょっと借りてる くらいがちょうどいい。
しかもそれをお互い笑い合える関係なら、ものすごく健全。
恩を着せて笑わせて、借りを返してまた笑って。
そういう小さな循環が、関係性の持続可能性を高めていく。
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■ 最後に伝えたいこと
・偽善でもいい
・恩は着せよう
・でも湿っぽくなく、笑って着せるのが大事
・そのスキルは人間関係の武器になる
・自分の善意をちゃんと見える形にして、堂々と残そう
こういう在り方がもっと広がったら、
人と人との間に、あたたかくて冗談めいたやさしさが、ちゃんと積もっていく気がする。
この時代の恩は、
黙って背中に羽織らせるものじゃなくて、
笑いながら 着てくれよなって差し出すもの。
あなたは誰に、どんな恩を、笑って着せたいですか?
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