コスパ!タイパ!と口にする人達は本当に効率を得ているのだろうか?
- yuki kato
- 8月25日
- 読了時間: 4分

コスパが悪い、タイパが悪い。
そう口にしている時点で、すでにその人はコスパもタイパも悪い状況にいるのではないか。
本当に効率的に動いている人は、そんなことわざわざ口にしないのである。
彼らは自然体で、自分なりのリズムの中で成果を積み上げている。
むしろコスパやタイパという言葉が口から出る状況そのものが、効率性を失っているサインだと私は思う。
■ 数字に見える効率と見えない効率
コスパやタイパを強調する人がよく持ち出すのは、短期で測れる数値だ。
安い商品を比較して選ぶことや、動画の要約サービスで本を読んだ気になること、AIに質問して即答を得ること。
たしかに瞬間的には効率的に見える。
しかしこの姿勢は、短期的な結果に偏ってしまう。効率とはインプットとアウトプットの比率でしかなく、その奥にある効果や長期的な価値は計算に入っていないからだ。
経営の現場でよく見かける例がある。広告費を最小化しようと、安い媒体ばかりを選んで出稿する会社だ。短期の数字は動くが、求職者や顧客からの信頼にはつながらず、結局は採用コストも販促コストも跳ね上がる。これは効率的に見える非効率の典型だ。
■ 非効率に見えることが実は効率的
表面的な時間短縮が必ずしも効率ではない。
例えば、本を要約だけで済ませる人と、一冊を腰を据えて読み込む人。前者は時間を節約した気になれるが、後者は文脈や行間から得られる思考の筋力を蓄える。
結果として応用力や再現性の高い知識を持つのは後者だ。これは教育投資の真実でもある。
また食事の選択にも同じ構造がある。安さだけで外食を選べば、一時的な支出は減る。だが栄養バランスを崩し、体調を壊せば医療費や失われる時間の方がはるかに高くつく。短期的な節約が長期的には損失に変わる。
さらにビジネスの現場では、短期成果だけを求める営業活動がある。即効性はあっても、信頼関係が構築されないために顧客の離脱が早い。ここでも一見非効率に見える雑談や関係づくりの時間が、実は最も高い効率を生む。
■ 本当に効率的な人は余白を持つ
効率至上主義に陥ると、人は予定を詰め込みすぎる。雑談は無駄、休息は贅沢、寄り道は不要。こうして日々を埋め尽くす。
しかし、本当に成果を出している人ほど余白を大切にしている。
経営者の中には、一見遊んでいるように見える時間をあえて設けている人が多い。ゴルフや釣り、趣味の会合など。そこから偶然の出会いや気づきを得て、事業に結びつけている。
短期的には非効率に見えるが、その余白からこそ新しい価値が生まれる。
また脳科学の観点でも、余白は必要だと証明されている。情報を詰め込みすぎると記憶は定着せず、逆にリラックスした状態の方が創造性が発揮される。効率的な成果を出すためにこそ、非効率に見える時間を取る必要がある。
■ コスパタイパの次に来るもの
これから本当に必要とされるのは、見かけの効率を追い求めることではない。
むしろ問うべきは、どんな投資が長期的な複利を生むのか、一見無駄に見える行為が将来どんな価値につながるのか、という視点だ。
例えば採用活動で考えてみよう。求人広告に最低限の費用だけを投じて応募を待つ会社は、コスパ重視型だ。しかし応募が来ないと嘆き、さらにコスパが悪いと感じる。
一方で、時間と手間をかけて自社ブログやSNSで情報を発信し続ける会社は、最初は非効率に見える。だが半年、一年と積み重ねることで、求職者や顧客の信頼を獲得し、採用も販促も持続可能な形に変わっていく。
つまり、効率の真の尺度は短期の数字ではなく、長期での持続性と再現性にある。
コスパやタイパという物差しを持つこと自体は悪くない。だが、それを唯一の基準にしてしまった瞬間に、人も企業も効率的に見える非効率に陥る。
■ 結論
コスパやタイパを強調する声が増えているのは、現代人が余裕を失っている証拠でもある。
本当に効率的に動いている人は、そんな言葉を口にする必要がない。成果が自然と積み上がり、周囲から評価されるからだ。
これからの時代に求められるのは、見かけの効率を追うことではなく、長期の複利を生む選択だろう。非効率に見えるものを戦略的に取り込める人こそが、真に効率的な成果を手にする。
AI未来鑑定士 / リクルートストーリーテラー
合同会社Lepnet 代表社員 加藤勇気
コメント