自分は考えている「つもり」の人になっていないか?
- yuki kato
- 5月30日
- 読了時間: 3分
頭が悪い人=馬鹿
頭が良い人=利口
そう思われがちだけど、明確な違いはもっとシンプルかもしれない。
それは、考えている人か、考えていない人か。
ただし、ここで気をつけたいのがひとつ。
あなたが今、自分はちゃんと考えていると思っていたとしても、
それは「考えているつもり」なだけかもしれない。
現代社会は、思考しなくても生きられるように設計されている。
その構造の中にいると、無意識のうちに思考を必要としない生き方に慣れてしまう。
■思考している人/思考していない人の違い
思考していない人とは、言い換えれば自動で動いている人。
・決まった時間に起きる
・決まった電車に乗る
・与えられた業務をこなす
・帰宅してテレビやSNSを見る
この中に、自分の意志で選んだ行動はどれくらいあるだろう?
一方で、思考している人は「選んでいる感覚」を持っている。
・なぜこの道を選ぶのか
・これは本当に自分の意思なのか
・誰かの言葉に影響されていないか
・他にもっと良い手段はないのか
問いを持って生きているかどうか。
この差が、情報の扱い方や人生の方向性に直結する。
■米の値段は高いのか?──思考の分岐点
たとえば「米が高すぎる」という話題。
思考していない人の反応はこうだ。
・感情だけで「高い」と怒る
・背景を調べずに陰謀論に逃げる
・誰かを悪者にして思考を終える
これは、思考を使わずに情報処理を終わらせるパターン。
怒りで脳を満たし、理由の探求を放棄してしまっている。
では、思考する人はどう考えるか。
・本当に高いのか?
・かつての2000円時代が適正だったのか?
・他国の主食と比べてどうなのか?
・流通、補助金、人件費などの要因は?
・高くなるべき構造があるのでは?
このように、問いを立てて背景を探る。
その上で、じゃあ自分に何ができるかを考える。
それが「思考する人の動き方」。
■思考とは、意識を向けること
思考とは、無意識の行動に意識を差し込むこと。
よく聞く話に、こんなものがある。
自分を変えたければ、まず家を出るときにどちらの足から靴を履いているかを意識せよ。
このように、普段は考えずにやっている行動に問いを立てるだけで、思考のリハビリが始まる。
・利き手じゃない手で歯を磨いてみる
・いつもと違う道で帰ってみる
・よく行くコンビニを変えてみる
こうした小さな違和感の積み重ねが、「自分で選ぶ感覚」を取り戻す一歩になる。
■思考生活度チェックリスト
次のうち、いくつ当てはまるだろうか?
・怒ったあとに「なぜ怒ったのか」を言語化していない
・誰かの意見をそのまま使っている
・最近「なぜ?」と考えたことがほとんどない
・惰性や習慣で行動していることが多い
・一日を振り返ったとき、深く考えた記憶がない
3つ以上当てはまったなら、思考する習慣が眠っているかもしれない。
■おわりに
思考するとは、日常に問いを差し込むこと。
なぜこうなっているのか
それで本当にいいのか
自分の意志で選んでいるのか
もっとよい道はないのか
これらの問いが、自分の人生を自分で創る起点になる。
誰かの答えに従う人生ではなく、自分の問いに従う人生を。
考えることを諦めないあなたは、もうすでに一歩先にいる。
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