top of page

また失言で大臣更迭…なぜ彼らは余計な事を言ってしまうのか?

  • 執筆者の写真: yuki kato
    yuki kato
  • 5月21日
  • 読了時間: 7分

米は買ったことが無い、と農水大臣が発言し、結果的に更迭されました。

驚くよりも、「またですか…」と思った人も多いのではないでしょうか?。


わが国では、大臣など政治家の失言が定期的に炎上し、そして定期的に更迭されるという、もはや政治的風物詩のような出来事が繰り返されています。


驚くべきは、この流れがずっと繰り返されているにもかかわらず、政治家たちが学習していないように見えるということ。

そして、たびたび出てくるその言葉は、内容もタイミングも、一般感覚とズレたものが非常に多い。


今回は、なぜ彼らは余計なことを言ってしまうのか?という構造的な問題について掘り下げてみようと思う。




■過去の失言コレクション


過去に炎上した大臣・政治家の発言は、正直「今だったら絶対言わないだろ」と言いたくなるものばかりだ。

その中でも特に印象的だったものを、ここでいくつか紹介したい。


まずは、かつての少子化担当大臣による発言。


女性は子どもを産む機械。

2007年のこの発言は、性別役割分担を当然視したような古い価値観があらわになり、国内外から激しい批判を浴びた。本人は失言でしたと謝罪したが、この一言で政治生命が終わったといっても過言ではない。


次に、当時副総理だった人物が語った一言。


ナチスに学べ。

これは憲法改正の話の流れで出たもので、誰にも気づかれずに変えたナチスを見習えと言った趣旨だった。

ただ、この文脈でもナチスというワードを肯定的に出すことがどれだけ危険かは、小学生でもわかるレベルだ。


最後に地方選応援演説での発言。


金を配れば票が取れる。

応援のつもりが完全にアウト。選挙と金を結びつける発言は、現代日本では一発レッド。

言った本人はその意識すらなかったのかもしれないが、これもその場のノリで済む時代ではなかったということだ。


これらの共通点は、いずれも本人の意図と受け取り側の感覚にギャップがありすぎる点だ。




■本音と建前の切り替えスキルが低い


政治家に求められるスキルの一つに、本音と建前を自在に使い分けることがある。

簡単に言えば、言いたいことと、言ってもいいことの境界線を見極め、適切に加工して発言する能力だ。


だがここで、多くの政治家がつまずいてしまう。

本音を隠して建前だけ言っても信用されない。だからこそ、ちょっとだけ本音を混ぜて誠実さを演出しよう――

そのさじ加減に失敗して、言葉が暴走するのだ。


今回の「米は買ったことがない」発言も、もしかすると「日々の買い物は妻がやっていて、自分では米を買ったことがない」という家庭内の話を砕いて言ったつもりだったのかもしれない。

けれど、それがそのまま農水大臣なのに米を買ったことがない=国民感覚がない、という風に解釈されてしまった。


これが怖いところ。意図よりもどう伝わったかが問われるのが、公人の発言の宿命だ。


言葉には必ず受け取り手がいて、その受け取り方は千差万別。だからこそ、慎重な言い換えや一言足す工夫が必要になる。


ところが現実には、本音と建前のバランスを取るどころか、自分の言葉をどう解釈されるかのシミュレーションすらしていない人も少なくない。

その結果、何気ない一言が、政治生命を終わらせるほどの爆弾になるのだ。




■注目されている自覚が薄い


政治家の発言は、いつ・どこで・誰に聞かれているか、常に想定しておかねばならない。

それは議会の場でも、会見でも、SNSでも同じだ。今やちょっとしたコメントが切り取られ、拡散され、秒速で批判の嵐にさらされる時代だ。


ところが、いまだに昔の感覚のままでいる政治家が多い。


かつては、記者クラブの中だけで通じる政治家言葉や、地元の集会でのオフレコ発言が外に出ることは稀だった。

でも、今はスマホ1つで録音・録画・リアルタイム拡散が可能な時代だ。


地元の人には通じると思って、仲間内の冗談のつもりだった――

そういった言い訳は、もう通用しない。


農水大臣であれば、農業従事者や農村地域の人々が自分の発言をどう受け取るかまで想像しなければならない。

しかし、その見られている意識が希薄なまま話すと、まるで居酒屋の雑談のようなノリで発言してしまい、結果、全国ニュースで炎上する。


これはもう、完全に時代錯誤の産物だ。




■知能はあるが、知恵が足りない


ここが一番の核心かもしれない。

多くの政治家は、頭が悪いわけではない。むしろ、法学部卒、官僚出身、東大・京大といった高学歴エリートが多数を占めている。


知識も経験も豊富で、行政の仕組みや予算編成には詳しい。

でも、言葉の扱いや人間の感情の機微に関しては、まったくの素人。

つまり、知能はあるけど知恵が足りない状態だ。


例えば、どうすれば票が取れるか、どの政策が筋が通っているかはわかっても、庶民が「米を買ったことがない」と聞いた時、どう感じるか?を想像できない。

さらに、この発言はどこにどう切り取られるかも予測できない。


比喩で言うなら、分厚い参考書を丸暗記したのに、人前でのスピーチになると噛み倒す人。

知識はある。でもそれをどう使うかという実践知や場数が足りていない。


要するに、ステータスの配分が歪なんですよ。


知識や論理性という知能にステータスポイントを全振りした結果、日常感覚や共感力といった知恵には全く割り振られていない。

これ、RPGで言うなら知力99・感情5みたいなキャラだ。確かに魔法は強いけど、パーティー会話では空気が読めなくて全滅の原因になるタイプ。


突出した能力があるが故に、逆に普通の人が当たり前に持っている感覚が足りない。

その歪みが、時として国民との断絶になり、言葉のミスという形で表面化するのだ。




■結局、言葉の重さに耐えられない人が多い


政治家というのは、言葉を使って国を動かす職業だ。

法案の説明、国民への説得、外交での発言、党内調整、選挙演説――すべて言葉。

言葉が武器であり、看板であり、責任そのものである。


にもかかわらず、その言葉を軽く扱ってしまう政治家が後を絶たない。


なぜか。

それは、言葉の重さに耐えるトレーニングをしてこなかったからだ。


もともと地盤(後援会)、看板(知名度)、カバン(資金)という政治家の三種の神器がそろっている人は、言葉の正確性やタイミングよりも、どれだけ人と繋がれるかで出世してしまう。

その結果、言葉を磨いてきた人ではなく、票を集めてきた人がトップに立つ構造ができあがっている。


SNS時代になって、この言葉の耐久力がより厳しく問われるようになった。

昔ならオフレコで済んだ一言が、今では全国に晒される。

記者だけでなく、国民全体が監視者になる時代では、ちょっとした雑談のノリすら、国家の信用問題になる。


人前での一言が、人生を左右する。

これはインフルエンサーや芸能人の世界だけでなく、政治家にも等しく当てはまる現代のルールだ。


にもかかわらず、言葉を軽く扱ってしまう。

これはもう、職業人としての未熟さと言わざるを得ない。




■まとめ:知能と知恵の歪みが失言を生む


今回の農水大臣の「米買ったことない」発言に限らず、大臣や政治家の失言劇はこれまでも何度も繰り返されてきた。

そして、おそらくこれからも、同じようなことが起こるだろう。


なぜか?

それは構造の問題であり、知能と知恵の歪みの問題でもある。


高学歴で頭は切れる。でも空気は読めない。

法律には詳しい。でも共感力が欠如している。

政策は立派。でも話し方が致命的。


そんなアンバランスなステータス配分のまま、人前で話すことを求められる人たちが、政治の世界にはまだまだ多い。


結局のところ、政治家に本当に求められているのは、正しさよりも、伝わる言葉を選べる知恵なんじゃないかと思う。


そして、SNS時代を生きる私たちもまた、誰しもが炎上予備軍の一員であることを忘れてはいけない。

自戒を込めて、今日も言葉を慎重に選びながら発信していきたい。

Comments


〒330-9501 埼玉県さいたま市大宮区桜木町2−3 大宮マルイ 7階 アントレサロン大宮内

  • X
  • Instagram
  • Facebook
  • YouTube
  • Google Places

©2021 by 合同会社Lepnet

bottom of page