戦争が選択されない未来 DAOがそれを実現するという話
- yuki kato
- 8月16日
- 読了時間: 4分

【DAO】で戦争を選択させない未来になる話
■ 終戦記念日に思う戦争という人類の過ち
8月15日。
日本にとって、そして世界にとっても忘れてはならない日。
戦争が終わった日。
だが、正確には“終わった”のではなく、いったん止まったに過ぎないと感じる。
戦争の記録をたどれば、民間人への空襲、原爆、餓死、投獄、拷問、そして理不尽な命令。
それらは全て、国という巨大なシステムの中で、個人の意志を奪われた人々が生み出した結果だった。
■ なぜ戦争は起こるのか?
そして、なぜ起こってしまうのか?
戦争が始まるとき、必ずしも国民が選んだとは言い切れない。
現実には、多くの戦争はごく一部の人間が決断し、それに従わざるを得ない仕組みの中で動き出す。
指導者、権力者、利害を握るエリート層が「行け」と言えば、
その命令は法となり、道徳をねじ曲げ、正義に化ける。
どれだけ心の中で「これはおかしい」と思っても、命令を拒否する術はない。
これは個人の自由の問題であると同時に、
決定権が一部に集中している構造の問題でもある。
■ 中央集約型の組織は、なぜ危ういのか?
近年でもそのリスクは何度も露呈している。
例えば、SNSプラットフォームのルールが突然変更されたことで起きた炎上、
大手企業の経営判断一つで何万人という雇用が左右されたり、
政治リーダーの一存で外交方針が180度転換されたりする場面。
これは戦争に限らず、あらゆる社会的決定が
一部の人間によって独占されている構造の危うさを物語っている。
こうした意思決定モデルは、スピード感はあっても、
「一部の暴走」がシステム全体を巻き込むリスクが常に伴う。
では、そうならないためにはどうしたらいいのか?
■ こうならない未来を、どう設計するか?
ここで思い出したいのが、あの名作
沈黙の艦隊 と 攻殻機動隊 SAC_2045。
どちらも、国家というシステムの限界と、それに抗う新しい意志の形を描いている。
● 沈黙の艦隊:
国家を超えて、自らの信念で動く「やまと」
潜水艦やまとは、日本の自衛艦でありながらも、独立国家を宣言し、
世界の核抑止力に対して第三の選択肢を突きつけた。
彼らは国家に所属しながら、新たな意思の共同体として行動したのだ。
● 攻殻機動隊2045:
現実と仮想が並立する「ダブルシンク」
登場人物たちは物理的には国家に属しながらも、ネットワーク上では
国家や地理とは無関係な価値観や目的で活動している。
二重の思考=ダブルシンクを持ち、現実と並行してもう一つの意志空間を生きる。
これって、まさに現代のDAO(Decentralized Autonomous Organization)と呼ばれる概念にそっくりだと思わないだろうか?
■ DAOという新しい意思の器
DAOとは、中央のリーダーや権力者がいない分散型の組織。
世界中どこからでも参加でき、
すべての意思決定は参加者の投票や合意によって行われる。
つまり、一部の人間が勝手に「戦争しよう」とは決められない仕組みになっている。
DAOでは、誰かが「この敵を攻撃すべき」と言っても、
それが承認されなければ実行されない。
裏での取引や、恐怖を利用した煽動が効きにくい。
DAOの特徴:
・トップダウンの命令が存在しない
・国籍や立場を問わず参加できる
・資金の流れも意思決定も全て透明
・合意形成はブロックチェーン上に記録され、改ざんできない
これらの仕組みは、国家にありがちな権力集中型の暴走とは真逆の構造をつくり出す。
■ DAOは戦争を止められるか?
直接的な軍事力による抑止はできない。
けれど、DAOが示すのはそれとは違う平和の作り方だ。
● 国家に属しながらも、DAOに参加するという二重所属
● 国境やイデオロギーを超えた目的ベースのつながり
● 戦争ではなく、合意によって進む組織運営
DAOは、戦争を選択させない構造を社会に埋め込む方法そのものだ。
国境がある限り戦争はなくならない、と言われる。
確かに、現行の国家システムではそうだろう。
でも、DAOのような仕組みが増え、
人々の心の所属先が国家だけではなくなるとき、
その国境は薄く、低く、曖昧なものになっていく。
■ これからの私たちへ
戦争を止めるのは、思想ではなく構造。
DAOはその第一歩になる。
国家に所属しながらも、戦争を拒否するもうひとつの意志の場として。
そして、かつてのやまとや、未来の公安9課のように――
私たち一人ひとりが、どの共同体に参加するかが問われる時代が、もう始まっている。








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