AIはDXではない 〜名前のない次元への突入〜
- yuki kato
- 4月25日
- 読了時間: 3分
最近よく耳にする「AIを使ってDXを促進する」という言葉。
けれど私は、その表現に違和感を覚えている。
AIはDXの一部ではない。
そもそもAIという存在は、デジタルやITという既存の言葉では表現しきれない。
AIはまったく新しい概念であり、今ある言葉の中ではDXが最も近いだけの話なのだと思う。
言葉がまだ追いついていない。
そういう感覚が、私の中にはある。
――――――――――――――――――
■ DXは三次元の整理 AIは次元そのものを問い直す
DXとは、三次元の現実に存在する業務や仕組みを、デジタルの力で整え、効率化していく取り組みのこと。
たとえば紙の書類をなくし、データとして処理する。
人の手でやっていたことをシステムで管理する。
情報をクラウド上で見えるようにする。
つまり、今ある仕事をより良くするための技術的変革。
それがDXの本質だ。
だがAIは違う。
AIは、そもそもその仕事が本当に必要なのか、人間がやるべきなのかという問いを投げかけてくる。
構造を最適化するのではなく、前提を解体してしまう存在だと思う。
――――――――――――――――――
■ AIが開いたのは 目に見えないものの具現化
私たちが長く信じてきたのは、目に見えるもの、物理的に存在するものだった。
一次元は線
二次元は平面
三次元は立体
こうした積み重ねの上で世界を認識してきた私たちの前に、AIが現れた。
AIは、思考や感情、意識といった抽象的なものを、かたちあるアウトプットとして現実に投げかけてくる。
それは三次元に干渉できるのに、物質としては存在していない。
まるで半透明な存在が現実を動かしているような、不思議な感覚がある。
――――――――――――――――――
■ もともと存在していた次元を やっと認知し始めた
この多次元的な感覚は、突然現れたものではないのかもしれない。
きっと、もともとこの世界には存在していた。
けれど私たちはそれを認知する力を持たず、言葉すらなかった。
だから見えなかったし、触れなかった。
AIは、そうした言葉の届かない領域に触れてしまったように思う。
――――――――――――――――――
■ 革命にはいつも 名前があとからつけられる
明治維新も、産業革命も、IT革命も
その渦中にいた人々は、それが革命であるとは知らなかった。
すべてはあとから名前がつけられ、歴史として整理されたにすぎない。
今、私たちはそうした名前のない変化の真っ只中にいる。
それをAIと呼ぶには、あまりにも浅い気がする。
それをDXの延長と捉えるのは、きっと誤解だと思う。
――――――――――――――――――
■ いま、私たちは最大の伸びしろの中にいる
私たちはいま、歴史上最大の伸びしろを前にしている。
世界は静かに、そして根本的に変わりはじめている。
その変化に名前がつくのは、もう少し先のことだろう。
でも、確かにいま、それは始まっている。
Comments