子育てに潜む「気づけない最後」があなたの幸せをつくっている
- yuki kato
- 8月29日
- 読了時間: 3分

■ 子育てにおける数多くの最後
「最初の瞬間」はよく覚えている。
初めて歩いた日、初めて喋った日、初めて自転車に乗れた日。
カレンダーに書き込んだり、動画を撮ったりして、記録に残す親も多い。
けれど「最後の瞬間」は、ほとんど記憶に残らない。
最後に手をつないだのは、いつだっただろう。
最後に「一緒に寝て」と言われたのは、いつだっただろう。
最後に抱っこをせがまれたのは、いつの夜だっただろう。
その時はただの日常でしかなくて、「あれが最後だった」と気づくのは、ずっと後になってからだ。
■ なぜ最後は気づけないのか
理由はシンプルだ。
日常に埋もれているから。
そして、人は「終わり」を意識することを無意識に避けるから。
最初はお祝いできるけど、最後は静かにやってくる。
それが子育てという営みの不思議さであり、人生そのものの縮図でもある。
■ 数多くの最後の例
最後の送り迎え。
最後に泣きながら甘えた夜。
最後に全力で応援した運動会。
最後に宿題を手伝った夜。
どれも「その瞬間」には気づけなかった最後。
けれど、振り返ればひとつひとつが宝物だ。
■ 儚さの正体
人は「最後に気づけない」という儚さを抱えながら生きている。
それは子育てに限らず、家族との別れ、友人との時間、仕事での瞬間にも共通している。
気づけないまま通り過ぎて、後から「あれが最後だった」と胸が締めつけられる。
その構造自体が、幸せの正体に近いのではないだろうか。
■ 幸せとは何か
幸せは「今が幸せだ!」と意識しているときよりも、振り返って初めて深く染みるもの。
数多くの気づけない最後が、今の幸せを構成している。
だからこそ「気づけなかった最後」を悔やむ必要はない。
むしろ、気づけなかったこと自体が自然であり、尊いこと。
夢中で生きていた証拠だからだ。
■ 今をどう生きるか
最後は気づけない。
それなら、いま目の前にある日常を大事にするしかない。
「これはもしかしたら最後かもしれない」と構える必要はない。
ただ、通り過ぎてしまう一瞬を少し丁寧に抱きしめること。
それが、未来の自分にとっての幸せの種になる。
■ 終わりに
子育ては数多くの最後に満ちている。
そのどれもに気づけないまま、親は歩いていく。
でもその積み重ねこそが、今の幸せをつくりあげている。
あなたにとっての「気づけなかった最後」はなんですか?
そして、いま過ごしている日常は、未来のどんな幸せにつながるのでしょうか。
AI未来鑑定士 / リクルートストーリーテラー
合同会社Lepnet 代表社員 加藤勇気








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