IT時代のライブドア事件簿とAI時代のオルツ事件を比較してみた
- yuki kato
- 10月15日
- 読了時間: 4分

※この記事はあくまで私個人の解釈・見方をまとめたものであり、法的・事実的な断定を目的とするものではありません。
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■時代を映す二つの事件
2000年代前半、日本のインターネット黎明期を象徴したのがライブドア。
そして2025年、AIバブルの象徴として注目を集めたのがオルツ。
どちらも新時代を代表するテック企業として脚光を浴びたが、最終的に粉飾決算という同じ結末を迎えた。
この二つの事件は、時代と制度の成熟度の違いを映す鏡のように思える。
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■ライブドア事件:社会の免疫反応
ライブドアは、社会が変化を拒んだ時代の犠牲者だった。
堀江貴文が率いるライブドアは、買収やM&A、時価総額経営を武器に新しい資本主義を体現していた。
しかしその手法は、当時の日本社会には理解されにくく、常識を壊す危険な存在と見られた。
監査法人の承認を得ていたにもかかわらず、後になって検察が虚偽記載と断じ、強制捜査。
制度的には合法に近い処理を、社会的・政治的な判断で粉飾とされた形と言われてもいる。
いわば、制度側が異物を排除した免疫反応のような事件だったという意見も多かった。
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■オルツ事件:制度の内側での崩壊
一方でオルツは、制度の内側で自壊した事件だった。
AI議事録や自動生成などの技術を掲げ、上場を果たしたが、実際は実態の薄い循環取引で売上を演出していた。
形式的にはすべてが整っており、監査法人のチェックも通過していた。
つまり、表面上は健全だったのに、内側では制度の隙間を縫うように数字が作られていた。
AIブームに乗り遅れるなという焦りが、会社の呼吸を早め、最後は制度疲労のように崩壊したのだろう。
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■監査法人が存在していたのになぜ崩れたのか?
ここで興味深いのは、どちらの事件にも監査法人が存在していたことだ。
ライブドアには当時の四大監査法人の一角・中央青山監査法人。
オルツには中堅の監査法人シドー。
それぞれが会計のプロとして監査意見を出していたのに、結果的には崩壊した。
つまり、どちらも監査法人がOKを出したのに後からNGになった構図だ。
違いは、ライブドアの時代は制度が未整備で、オルツの時代は制度が形骸化していたこと。
ライブドアは、まだ日本がM&Aや新興会計に不慣れだった時代。
会計基準が曖昧で、グレーゾーンが多かった。
堀江氏のやり方は確かに挑発的だったが、違法と断じるには根拠が薄く、後出しで犯罪化された印象が強い。
オルツは逆に、制度は整っていたのに監査の目が機能していなかった。
AI事業という見えない実態を盾に、会計上の裏付けをすり抜けた。
つまり、前者は制度が未熟で潰され、後者は制度が疲弊して潰れた。
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■株価が示した時代の温度差
株価の動き方にも、その差が現れる。
ライブドアは、強制捜査の翌日にストップ安が続き、数日で市場がパニックに陥った。
いわば爆発的崩壊だった。
一方のオルツは、報道や開示遅延を経て徐々に信用を失い、静かに流動性が枯れていった。
こちらは干からびるような崩壊だ。
崩れ方のスピードが、時代の情報伝達構造を如実に表している。
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■社会という構造のデリケートさ
結果として、両者ともに犯罪とされ、経営陣が逮捕に至った。
しかし私は、冤罪だとかハメられたと断定したいわけではない。
社会という構造は非常にデリケートで、
たとえそれが素晴らしい先進的な改革であっても、
正しいかどうかは社会の受け止め方次第で変わってしまうのだと思う。
つまり、正義とは結果であり、時代の空気が作るもの。
ライブドアもオルツも、制度の外と内、どちらの立場からでも限界を迎えた。
社会のルールは常に変化しているが、その変化はテクノロジーの速さには追いつかない。
だからこそ、私たちは「正しさ」と「受け入れられ方」は別だという前提で考えなければならない。
ライブドアは社会に拒まれ、オルツは制度に潰された。
どちらも、日本という国の変化に対する防衛反応が生んだ象徴的事件だったと思う。
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